メルロ=ポンティは高校の先生だったって本当?
フランスの哲学者メルロ=ポンティは、大学教授になる前に約14年間、高等中学校(リセ)で哲学を教えていました。
「世界的な哲学者が高校教師だった」と聞くと意外に思うかもしれません。しかし当時のフランスでは、優秀な哲学者がリセで教えることは珍しくありませんでした。
実際、メルロ=ポンティは教員資格試験(アグレガシオン)に合格した後、各地のリセで勤務し、その後に大学教授となっています。
メルロ=ポンティが教えていた「高等中学校(リセ)」とは?
リセ(Lycée)は、現在のフランスでも存在する中等教育機関です。
年齢でいうと、およそ15〜18歳が通い、日本では高校に相当します。
ただし、1930年代のリセは現在以上に大学進学を目指すエリート教育機関という側面が強くありました。
そのため、メルロ=ポンティが教えていた生徒たちは、知的水準の高い進学希望者が中心だったと考えられます。
メルロ=ポンティはリセで何を教えていた?哲学だけ?
メルロ=ポンティは、ほぼ哲学のみを担当していました。
フランスでは哲学教師は独立した専門職です。
日本のように「倫理・政治経済」や「歴史」と兼任するのではなく、哲学教師は哲学だけを教えます。
哲学は卒業試験(バカロレア)の重要科目でもあり、非常に重視されていました。
メルロ=ポンティは何年生に哲学を教えていたの?
基本的には最終学年(Terminale)の生徒です。
日本でいえば高校3年生にあたります。
フランスでは昔から、
哲学は高校生活の最後に学ぶ学問
という伝統があります。
そのため、生徒は卒業前の一年間をかけて、本格的な哲学を学びます。
メルロ=ポンティの哲学の授業は日本の「倫理」と何が違う?
日本の高校倫理では、哲学者や思想を知識として学ぶことが多くあります。
一方、フランスの哲学では暗記よりも「考えること」が重視されます。
例えば試験では、
- 自由とは何か
- 幸福は義務になりうるか
- 芸術は真理を語るのか
といったテーマについて、自分の考えを論理的に論述します。
つまり、哲学者の名前を覚えることが目的ではなく、自分で問いを考え、議論し、論証する力が求められるのです。
メルロ=ポンティ自身も、「知覚とは何か」「身体とは何か」といった問題を生徒とともに考える授業を行っていたと伝えられています。
メルロ=ポンティはいつ、どれくらいの期間リセで教えていたの?
メルロ=ポンティの教員歴は次のようになります。
- 1931年:アグレガシオン(哲学教員資格試験)合格
- 1931〜1935年頃:ボーヴェのリセで哲学教師
- 1935〜1939年頃:パリのカルノ校で哲学教師
- 1939〜1940年:第二次世界大戦で従軍
- 1940〜1945年頃:再びリセで哲学を教えながら著作を執筆
- 1945年:リヨン大学教授に就任
つまり、約14年間にわたってリセで哲学教育に携わっていました。
しかもこの時期は単なる下積みではありません。
代表作である『行動の構造』(1942)や『知覚の現象学』(1945)は、まさに高校で哲学を教えながら執筆された作品です。
教室で若い生徒たちと「知覚とは何か」「自由とは何か」を考え続けた経験が、その後の哲学にも大きな影響を与えたと考えられています。
まとめ
メルロ=ポンティは大学教授になる前、約14年間にわたってフランスのリセで哲学を教えていました。
リセは日本の高校に近い教育機関ですが、当時は大学進学を目指すエリート教育の場でもありました。
また、授業は知識の暗記ではなく、「問いについて自分で考え、論証すること」を重視していた点が、日本の高校倫理とは大きく異なります。
こうした教育経験は、『知覚の現象学』などの代表作にもつながる、メルロ=ポンティの思想形成に欠かせない時期だったといえるでしょう。
