哲学史は思想だけを追うと難しく感じます。しかし、「誰がどこの大学で学び、どこで教えたのか」という視点で見ると、思想の流れが一気につながります。
ハイデルベルク大学は意外と少数派
ドイツ最古級の大学であるハイデルベルク大学(1386年創設)は世界的な名門ですが、「大哲学者を大量に輩出した大学」というわけではありません。
代表的な哲学者を挙げると、
- ヘーゲル(1816~1818年に教授)
- ルートヴィヒ・フォイエルバッハ(学生)
- カール・ヤスパース
- ハンナ・アーレント
- ハンス=ゲオルク・ガダマー
などです。
むしろハイデルベルクは、20世紀の実存哲学や解釈学の拠点として重要な役割を果たしました。
ドイツ哲学の中心は時代ごとに移る
ライプツィヒ大学
- ライプニッツ
ケーニヒスベルク大学
- カント
「ケーニヒスベルク=カント」といってもよいほど、この大学はカントの思想と結びついています。
イェーナ大学
- フィヒテ
- シェリング
- 若きヘーゲル
1800年前後、ドイツ観念論の中心はイェーナでした。
ベルリン大学
- ヘーゲル
- マルクス
- シュティルナー
1818年、ヘーゲルはベルリン大学へ移り、ドイツ哲学の中心もベルリンへ移ります。
ただし、マルクスは1836年にベルリン大学へ入学しており、1831年に亡くなったヘーゲル本人の講義は受けていません。
一方、シュティルナーは在学時期が重なっているため、ヘーゲルの講義を聴講した可能性があります。
フライブルク大学
- フッサール
- ハイデガー
20世紀には現象学・実存哲学の中心となりました。
フランクフルト大学
- アドルノ
- ハーバーマス
ここからフランクフルト学派が発展していきます。
大学教授ではなかった思想家たち
興味深いことに、有名な思想家でも大学教授ではない人物は少なくありません。
- マルクス
- キルケゴール
- シュティルナー(大学ではなく学校教師)
- ベンヤミン
彼らは大学の外から哲学史に大きな影響を与えました。
京都学派とのつながり
京都学派の哲学者たちもドイツへ留学しています。
- 田辺元:ベルリン、フライブルク、マールブルク
- 西谷啓治:フライブルク(ハイデガーに師事)
- 九鬼周造:ハイデルベルク、フライブルクなど
意外なことに、京都学派の留学先として最も重要だったのはハイデルベルクではなく、フライブルク大学でした。
サルトルもドイツへ
1933~34年、サルトルは約1年間ベルリンに滞在し、フッサールの現象学を研究しました。
正規の学生ではありませんでしたが、研究者として大学図書館などを利用し、現象学を吸収した経験が、後の『存在と無』へとつながっていきます。
補足
マルクスは直接ヘーゲルの授業を受けていません。
理由は、ヘーゲルが1831年に死去し、マルクスがベルリン大学に入学したのは1836年だからです。マルクスはヘーゲルの弟子たち(ヘーゲル学派)の講義を受け、著作を通じてヘーゲル哲学を学びました。
一方、シュティルナーは直接受けた可能性があります。
- シュティルナーは1826年ごろからベルリン大学で学びました。
- ヘーゲルは1818〜1831年までベルリン大学教授でした。
- 在学期間が重なっているため、ヘーゲルの講義を聴講した可能性が高いと考えられています。ただし、履修記録などの決定的な証拠は残っていません。
キルケゴールは直接受けていません。
- コペンハーゲン大学で学び、ヘーゲル本人とは接点がありません。
- ヘーゲル哲学は書物や、デンマークのヘーゲル派(特にヨハン・ルードヴィ・ハイベアなど)を通じて知り、それに対する批判を展開しました。
つまり、整理すると、
- 直接ヘーゲルに学んだ可能性がある:シュティルナー
- ヘーゲル本人には学んでいないが、ヘーゲル学派に学んだ:マルクス
- ヘーゲルの著作・影響圏を通じて学び、批判した:キルケゴール
という違いがあります。
おわりに
哲学史は「誰が誰に影響を与えたか」だけでなく、「どこの大学で学び、どこへ移ったか」を追うと、驚くほど立体的に見えてきます。
イェーナからベルリンへ、ベルリンからフライブルクへ。そして20世紀にはハイデルベルクやフランクフルトへ──。
大学の地図を重ねることで、ドイツ哲学の歴史そのものが、一つの旅として見えてくるのです。
