── ストラト × タム|架空の匿名掲示板でのやりとりより ──
ストラト:
最近、人気アーティストの歌詞って「哲学的」って言われること多くない?
聞いていて「あ、この人、哲学かじってるな」って感じるような、そういうの。
タム:
あるある。偉人の言葉とか、難しい抽象的な言葉がずらっと並ぶやつでしょ。
それはそれでアリなんだけど、アジカンってそっちじゃない気がするんだよね。
ストラト:
そうなんだよ。アジカンは、現実と向き合って、
偉人の考え方も知らずに、でも自分なりに「なんとか言語化しようとしてる」っていう感じ。
哲学っぽいっていうより、“哲学なんて知らないけど、自分の言葉でここまで来た”って空気がある。
タム:
わかる。たとえば「夏蝉」なんかそうだよね。
“nothing”って英単語と掛けてるって話よくあるけど、
「そういえば昔、学校で習ったな」くらいの軽い記憶がベースなんじゃないかっていう。
ストラト:
そうそう。
蝉って1週間しか生きられないって言われるじゃん。
その蝉が地上に出てきて、何も起こらず、誰にも気づかれず、
最後に「なんもなかったなぁ」ってつぶやいてる…そのイメージ。
なんかもう、笑えるくらい自虐的でシュールなんだよね。
タム:
普通は売れてくると、歌詞も高尚になっていくじゃん?
「人間とは」みたいなテーマに行く感じ。
でもアジカンって、どこまでも等身大というか、むしろ“不器用でバカっぽい”ままなのが逆にいい。
でも夏蝉あたりはまだキャリアの途上だし、最近は高尚な考えを歌ってるのかも知らない。最近のやつ追ってないんで。
でも後藤さんの最近のソロ曲を聞いたけど、変わってないなって思った。この頃より、もっと内側を掘ってる気がした。
ストラト:
バカって言うと聞こえ悪いかもしれないけど、
格好つけずにちゃんと曇りながら書いてるって感じがするんだよね。
だから共感できるし、信じられる。
タム:
しかも、それがずっとブレない。
「夏蝉」って、自分にとっては再燃のきっかけになった曲なんだよね。
その話はまた別の機会にでも。