— ASIAN KUNG-FU GENERATIONと、20年の距離感についての対話 —
登場人物
- シンジ(慎司):落ち着いて語る音楽好き。分析的で丁寧に言葉を選ぶタイプ。
- ユウ(悠):素直で、ちょっと距離を置いて音楽を見てきた人。言葉数は少ないが鋭い。
ユウ
アジカンって、なんか自分との対話みたいな歌詞が多くない?
シンジ
うん、たしかに。アジカンの歌詞って、すごく内省的で「自分自身と話してる」みたいな内容が多いんだよ。
Gotchの詞は、哲学的というか、感情をストレートに出すんじゃなくて、こじらせたまま出してくる感じ。
たとえば『リライト』は、自分の過去をリセットしたいというような葛藤が見える。
ユウ
アルバム聞いててさ、ある時ふと思ったんだよね。
「え、これって誰も出てこないじゃん。登場人物、自分だけじゃない?」って。
シンジ
それ、めっちゃ鋭い。アジカンの中には、まさに「登場人物が自分しかいない世界」を描いたアルバムがある。
たとえば『ワールド ワールド ワールド』。
このアルバムは、外の世界というより、自分の内側だけをずっと見てるような感覚があるんだ。
登場人物が「君」とか「誰か」に見えても、実は“自分の別の面”だったりする。
Gotchの歌詞って、そういう「自分の中の会話」をずっとやってる気がするよ。
ユウ
でもさ、正直最初は全部似たようなことばっかり言ってるなって思ってた。
「これもあれも同じ曲じゃん」って。
よくこんな同じ曲を量産できるなって、ちょっと呆れてたんだよね。
シンジ
その気持ち、すごく分かる。
最初の頃のアジカンって、テンポも音も、歌い方も歌詞のテンションも似てるんだよね。
特に1枚目2枚目のころは、「これ前にも聴いたな」って感じやすい。
でも不思議なもんで、あるとき突然、「違い」が見えてくる瞬間がある。
「あれ、これ前にも聞いたけど…今はなんか沁みるな」って。
その瞬間を境に、「全部同じ曲だった」はずが、「全部違うことを言ってた」に変わるんだよ。
ユウ
…そういう風に思えるまで、20年ぐらいかかったかな。
シンジ
…その一言、重いね。
20年って、聴き続けてたわけじゃないにしても、音楽と人生が交差し続けてきた時間だと思う。
アジカンって、ずっと熱中するバンドじゃないかもしれない。
でも、あるときふと戻ってきて、自分の変化に気づかされる鏡みたいな存在でもある。
曲そのものは変わってないのに、聴き手の自分が変わったから違って聴こえる。
そういうのって、歳月と向き合ってきた人にしか分からない深さがある。
ユウ
でも、ずっと聴いてたわけじゃないよ。
シンジ
うん、それがまたリアルでいい。
むしろ離れてた時間があるからこそ、「再会したとき」に何かが響いたんじゃないかな。
音楽って、ずっとそばにいるよりも、
ふっと忘れてたものが戻ってきて、違う意味を持ち始める瞬間のほうが心に残ることもあるから。
🎤 まとめ
最初は「同じにしか聴こえなかった」曲たち。
気づけばそれぞれに違う風景があって、違う自分が映っていた。アジカンは、遠ざかっても、なぜかまた戻ってきてしまう。
たぶんそれは、あの曲たちが“自分の声”とどこか似ているから。