シンジ(慎司):
最近の曲、特にZ世代のアーティストの歌詞って、何かが足りない、空っぽ、届かない…みたいな感覚が多い気がするよね。
でも、それって「もともと手に入るはずのものがある」という前提があるようにも感じる。
ユウ(悠):
うん。満たされてる場所での“虚しさ”って感じ。
でもアジカンの初期の歌って、そもそもスタート地点が違うというか…
“なにもない”がベースにあるんだよね。
シンジ:
そう。しかもその“なにもない”って、たぶん経済とか社会のリアルに近い。
言葉には出してなくても、「働けない」「進めない」「希望がシステムの外にある」っていう、そういう切実さ。
ユウ:
Z世代の「動けない」とは別物だよね。
選べないんじゃなくて、最初から選択肢すら置かれてなかったっていうか。
シンジ:
アジカン世代って就職氷河期だったしね。
社会に出ようとした瞬間に「居場所がない」と突きつけられて、その空白が音になってる。
ユウ:
“ポスト青春”でも“若者の倦怠”でもなくて、
もっと地に足のついた「詰み」みたいな空気、あるよね。
シンジ:
Z世代の音楽は内面に閉じていく感じが多いけど、
アジカンの曲は、孤独であっても、外に声を投げてる感じがある。
誰もいないけど、それでも誰かに届くかもしれないって、ギリギリ信じてる。
ユウ:
信じるって言うより、“それしかなかった”のかも。
届くとかじゃなくて、とにかく歌ってる。
あれは祈りじゃなくて、生存の音って感じ。
シンジ:
だから、アジカンの“なにもない”には、体温があるんだよね。
Z世代の“なにもない”は、たぶんもっと情報的で、軽やかにも見えるけど。
ユウ:
それでいて、たぶんどっちも本物なんだよね。
違うのは、背景にあった風景。
同じ“孤独”って言葉でも、時代によって匂いが違うんだなって思った。
シンジ:
たぶん、それが如実に出てるのが…「さよならロストジェネレーション」なんだよね。